巌流島?
編集:MONDO





 慶長17年4月13日。その日は少し風が吹き、春だと言うのに肌寒い朝だった。
 穏やかな波間のはるか遠くに、島影が見えていた。

「あれが舟島か……」

 浜に座り込んでいたみすぼらしい荒武者が、波間に見え隠れする島影を見つめてつぶやいた。
 彼の名は武蔵。明け方からずっと浜に座って遠く舟島を眺めながら、ぶつぶつとなにやらつぶやいている。浜の近くの村人たちは「触らぬ神にたたりなし」と、声をかけるものはおろか、近づこうとするものさえもいなかった。

「わしがこう行くと、あいつはこう払い。そこで……ダメだ。では、あいつに先に手を出させて……」

 武蔵は浜辺に座り込み、足元の砂地に拾ってきた小枝で何やら絵図を描きながら、何度も何度も繰り返しぼそぼそとつぶやいていた。
 そしてそのつぶやきは、いつも最後はこう締めくくられた。

「……ダメだ。どうしても相打ちか、わしが負けてしまう。あいつに一瞬の隙が作れたらなぁ……」










「おじさん、なに悩んでいるの?」
「……ん?」

 武蔵が顔を上げると、奇妙な着物を着たおかっぱ頭の童女がにこやかに微笑んで立っていた。

「悩みか……お前には関係ないことだ」

 童女が身につけている奇妙な着物は、京の都か、堺の町で見かける南蛮人の着物に似ていた。
 しかし、その容貌は日本か、唐、朝鮮のようだった。

「私は華代。困っている人の悩みを解決してあげるのが、お仕事なの」
「人の悩みを解決するって……お前は沢庵和尚か? そんな仕事がしたかったら尼寺にでも行けっ」

 武蔵は妙案の浮かばない苛立ちから、手に持っていた小枝を振り回して目の前の童女を追い払おうとした。
 だが、童女はひょいとそれをかわすと、肩から提げていた小袋の中に手を差し込んでなにやら探し始めた。

「あれ? ないなぁ……切らしちゃったのかしら? また、真城さんにお願いして名刺を作ってもらわなくちゃ」
「うるさいなぁ。あっちに行け! 行かないとたたっ切るぞ!」

 苛立った武蔵は腰に手をやって、そこにある刀を掴もうとした。
 ……が、その手はむなしく空を掴んだ。

「あ、あれ? わしの刀は……あ、このあいだ路銀がなくなって、金に換えたのだったっけ……」

 武蔵はこの地に向かう途中、最近名が知れだしたこともあり、また、その周りに群がる者たちが増えたこともあって、調子に乗って豪遊をし、その結果路銀を使い果たし……支払いに困って刀を売り払っていたのだった。

「う〜ん、丸腰で如何に戦えばいいのだ。これでは負けが決まったようなものだ。……この試合、士官がかかっておるから逃げるわけにもいかないしなぁ」

 武蔵は更なる悩みに頭を抱え込んでしまった。

「くそ〜っ、わしが女だったら、容易く金を稼げるのだが……」

 どんちゃん騒ぎの時、宿の浮かれ女(め)たちに大盤振る舞いしたことを思い出し、愚にもつかないことを口にしてしまう。

「わかった! おじさんの悩みは、女の人になりたいってことね……じゃあ、わたしに任せて! いくわよ〜っ」

 いきなりそう言うと、童女は両の手のひらを合わせ、花のように広げて向けてきた。
 そのかわいらしい手のひらがなにやら光りだし、そこから一陣の光が武蔵めがけて飛んできた!

「う、うわあああああああぁ〜っ!!」

 武蔵は光に包まれて、その姿を消した。










「……遅いぞ武蔵!」

 華美な着物を優雅に着こなし、背中に長い刀を背負った美青年の剣士佐々木小次郎が、舟島の浜で仁王立ちになり、海を睨んでいた。
 すると、はるか彼方の方から一隻の手漕ぎの舟が、こちらに近づいてきているのが見えた。
 薄汚い着物を着た人影が魯をこいでいる……その姿は見知った武蔵の立ち姿のようだったが、なぜかいつもよりも小柄に思えた。

「やっと参ったか……臆したか武蔵っ!!」

 小次郎は浜に乗り上げた舟に駆け寄りながら、魯をこいでいた人影に怒鳴った。だが、怒鳴られたその者は、顔を伏せ、押し黙ったままその場に立ち竦んでいた。

「何をやっておるっ。さっさと舟を降り、この巌流佐々木小次郎と勝負しろ!」

 だが、武蔵と呼びかけられた者は、まだ動こうとはしなかった。

「……それならばこちらから参るっ! きええええ〜っ!!」

 小次郎は気合とともに背中に担いだ刀を抜いて、武蔵に切りかかった。
 武蔵はその刀の切っ先を紙一重でよけた……はずだったが、小次郎の剣筋は、その胸に巻かれたさらしを切り裂いた。

 ぱらり…………ぽよ〜ん!! 
「・・・いやぁ〜んっ!!」

 小次郎は自分の目を疑った。切り裂かれたさらしの下からカタチよい二つのふくらみが…………え?
 武蔵は女のように小さく可愛らしい顔を赤らめて、着物の襟を掴み、重ね合わせるとその胸のふくらみを覆い隠した。

「見たわね……」
「い、いや……」
「見た!」
「……」

 瞳に一杯の涙を浮かべ、今にも泣き出しそうになった武蔵の問いに、小次郎は返答に窮してしまった。
 事実、小次郎は思わずその胸のふくらみに目を奪われ、その鼻から赤い一筋の線が……武蔵はそれを見逃さなかった。

「見た、見た、見たぁ〜っ!!」

 武蔵は恐ろしいほどの恨みのこもった眼差しで、小次郎を睨んだ。
 気迫では誰にも負けない自負があった小次郎だったが、その眼光に一瞬たじろいでしまう。
 次の瞬間……

「こ、小次郎さまのばかぁ〜〜っ!!」

 武蔵はまるで年若き乙女の叫び声のような絶叫を上げると、手に持っていた魯を高々と持ち上げ、胸がはだけるのも気にせずに思いっきり小次郎の頭の上に振り下ろした。

 
バキッ!!

 渾身の力で振り下ろされた魯は、小次郎の頭を直撃して真っ二つに折れ……彼は白目を剥いてその場にどさっと昏倒してしまった。

「もう、乙女の胸を見るなんて…………お嫁に行けないわ……」

 武蔵は、また胸を包み隠すと、その場に女の子座りをしてしくしくと泣き出してしまった。










 あのおじさん。可愛い女の子にしてあげたけど、喜んでくれたかな?
 人の悩みを解決するって、本当にやりがいのあるお仕事だわ。……でも、ここどこなんだろう? 真城さんに電話して聞いてみようっと。

「もしもし、真城さん。もしもし……」




















 今度はあなたのところに行くかもよ……